うちの学校には色々と変な制度がある。生徒会もその一つだ。生徒会長、副会長、以下下っ端は選挙で決まる。これはいたって普通だろう。でも、さらに会長と同格の役職があるのである。それが大部長だ。
 大部長と言うのは通称で、本当は総代表というらしい。簡単に言うと文化部、運動部の部長からさらにそれぞれ一人ずつ代表を決めて、その人間が部活動全体を統括するのだ。統括するとか言っても、実際は予算とかほか色々と雑務を押しつけられるだけなんだけど。
 大部長は毎年交代で、実績のある部活とか多くの部員がいるところの部長がなるのが常らしい。歴代の大部長を見てみても全国に行ったサッカー部のとか、コンクールの一部門を総なめした美術部のとか、たいそうな部長さんがいっぱいいる。
 私たちの代ではバレー部がかなり強いし、剣道部にも二人ほど凄いのがいる。文化系では科学部が文科省のコンクールに通ったとか、吹奏楽部が老人ホームを片っ端からボランティアで回っているとか。そんなわけなのでその辺りから出るのかな、とみんな思っていたはずである。
 それが私たちの代の場合は、目星を付けられていた部長はあろうことか全員拒否した。その時のことを思い出す。

 「あー、俺バレーに専念したいから」
 「やってもいいけど仕事はしない」
 「ごめんー。私犬の世話が大変で。居残りとか無理なの」
 「すまん、俺は持病を抱えていて、あと八十年しか生きられないんだ……」

 要約すると、今年はみんなやる気がなかったらしい。そんなこんなで今年の大部長は部員数八名、毎年緒戦敗退の女子ハンドボール部と、現在部員一名部長のみ、そんな部活あったんだとか言われた放送部の部長に紆余曲折を経て決定した。ちなみにちょっと調べてみると、そんな面白い大部長の組み合わせの年は64年続いてるうちの学校の歴史の中には存在しなかった。ああ、すみません歴代の部長さんがた……
 そう。私、高遠陽子はその運動部の大部長なのである。



 と、いうわけで今はその生徒会の会議の始まる直前。早く着きすぎて暇だったので、生徒会室の壁に貼ってある会則とかを読み返しながらつらつらと考えていのだった。あの時は夜までかかったからなぁ、決めるの……
 そうしてるうちに周りに人が増えてくる。放課後は生徒会のメンバーもみんな部活があるから、何かイベント直前でもない限り会議は昼休みに行われる。定例会議は週一だから、基本的に水曜日の昼はここで過ごすことになる。もちろん今日もそう。
「んー、一人足りないけどね。時間もないからさっさと始めようか」
 そして生徒会長が音頭を取って、今日の会議が始まった。部屋の真ん中に置いてある大机を囲むようにしてみんなが座る。面子を確認すると文化部部長がサボっていた。どうでもいいけど、そいつは副会長と会計を兼ねてもいる。生徒会は人数不足なのだ。
「今日は別に急ぐ案件はないんだけど……」
 というわけで、生徒会室の空気はまったりしたものだ。私はてきぱきと話を続ける生徒会長の顔をぼーっと眺めながら話を聞いていた。今日もこいつは笑顔だとか、どうでもいいことが頭をよぎる。
「……ということでみんな備品は大事に使って……」
 どうしてヤマは笑顔のまま事務的に喋れるんだろう……
「……だから近いうちに向こうの学校に行って打ち合わせしてこないと……」
 駄目だ、眠くなってきた。どうもこういう会議とかは苦手……
「ってそこ、高遠。寝ない」
「……あ、ごめんヤマ。つい」
 見かねたのか、話をしている本人である山本一清、通称ヤマが声をかけてきた。角刈りに筋肉質の体で見た目その筋の人だけど、いつも笑顔で穏やかという人は見かけによらないを地でいく名物生徒会長である。私とは小学校から一緒なので、気心の知れた仲だった。
 最初に会ってからもう十年になるんだろうか。そう思うと本当に長いつきあいではある。
「ううん、別にいいよ。来てないどこかの誰かさんよりはだいぶマシ」
 そう言って人なつっこく笑うヤマ。眠気で回らない頭で返事をする。う、やば、そんな顔されるとこっちがにやけそうになる……
「ん、じゃあ続きだね。どこまで話したっけ……」
 ヤマがそう言ったとき、けたたましい足音と同時に生徒会室のドアが勢いよく開いた。かなり盛大に音が鳴ったので、今度こそ目が覚める。
「すまん! 普通に寝てた!」
 そう言って一人の男子生徒が駆け込んできた。着崩した制服に首から提げた目立つネックレス。指輪だらけの左手と、目にはカラーコンタクト。という校則に挑戦するような姿で現れる人間は一人しかいない。こんな人間が生徒会にいて良いのかわからないが、とにかく遅刻してきたもう一人の大部長である。
「んー、寝てたの?」
 派手な登場にも変わらず笑顔でヤマが聞く。あ、でもこの顔は。
「ああうん、数学の途中までは記憶にあるんだけど」
 どうやらこいつは授業中から今まで寝ていたらしい。数学が何時間目なのかがちょっと気になった。
「まあいいよ、とりあえず座って」
「あ、許してもらえる?」
 そこでヤマはにっこりと笑って、
「来週の掃除当番ぜんぶよろしくー」
「酷っ!」
 教室に笑い声が響き渡った。見かけによらず、いやよってるのかも。まあとにかくヤマは厳しい。笑顔で罰当番とか平気でさせるのである。この場合は自業自得だけど。
 いつも笑顔なヤマだけど、よく見るとその笑顔にも色々種類がある。今のは確実に楽しんでる顔だった。
「じゃあまあ、それはさておいて」
「うう、微分積分なんて嫌いだ……」
 こうして、話を続けるヤマ。私はその顔を眺めながら、今度はちゃんと話を聞こうと思ったのだった。

 

「ねー、陽子ちゃんって好きな人とかいないのー?」
 その日、部活を終えてさあ帰ろうというとき、隣を歩いている裕美が話しかけてきた。彼女とは一年の時から部活で一緒に汗を流してきた仲で親友なので、もう突発的に話しかけてくる癖には慣れている。ぽやっとした外見通り、ぽやっと話を始めるのだ。
「いない。今は男には興味ない」
 これは彼女によく聞かれることなので、いつもと同じ答えを返す。
「でもさ、大部長って男女の場合、大抵付き合うことになるって言うよ?」
「あー、その噂って聞いたことある……」
 どうもこの制度にはそういうジンクスがあるらしい。確かに二つ上の大部長さんは付き合っていた。それどころか卒業式の前に別れて卒業式の最中によりを戻すとかいう離れ業までやってくれた伝説のカップルである。私もその卒業式に出ていたけど、あれはちょっとしたドラマだった。
「水菜浜くんってけっこうかっこいいしー。陽子ちゃんも考えてみたらー?」
 相変わらず何も考えてなさそうな顔で裕美が言った。ちなみにミナハマとは今日の遅刻男だ。
「あいつだけはパス」
 駄目駄目、と手を振りつつ即答する。
「えー、なんでー?」
「好かん。なんか嫌」
「理由になってないけどすごく嫌ってるね……いい人なんだけどなぁ」
 あきれ顔で裕美が言う。別にそこまで嫌いじゃないんだけど。水菜浜は見た目と態度は壊滅的にちゃらんぽらんだけど、意外と中身はきちんとしている。馴れ合ってはいないけど、客観的に見たらたぶん仲はいいので悪友と言うべきなんだろうか。
 けど、そいつを恋愛対象に見ないのはちゃんとした理由があるのであって。
「そこまで言うなら裕美が付き合ってみたら?」
 それを悟られないよう、意地悪く笑って私は言った。どうせ答えは決まっている。
「えー、駄目だよー。私にはたっくんがー」
 えへへと笑う裕美。彼女は校内でも有名なバカップルの片割れなのである。最初はのろけに辟易したけど、もうすっかり慣れてしまった。
「んー、そうか。じゃあまだ陽子ちゃんは男の子に興味がないんだねぇ」
 何が楽しいのか、そう言って笑う裕美。その笑顔にちょっとだけ罪悪感を憶える。ごめん裕美、親友のあなたにも隠してます。だからボロが出る前にその手の話はやめてください。
「そ、だからその話はもうやめにして」
「はーい。美人なのにもったいないねぇ」
 彼女に言わせると私は可愛くはないが美人らしい。猫や犬よりはヒョウとかライオンとか言われたことがある。ふん、髪だって短いし背は高いし化粧もしてないし胸ないし、どうせ可愛くないですよー。
 と、無駄話をしているうちに校門の所まで来てしまった。なんなら駅まで一緒に帰ろうと思って一応裕美に聞いてみる。たぶん無駄だと思うけど。
「さて、それじゃ私はもう帰るけど、裕美は?」
「わたしはここでたっくん待つからー」
「はいはい、お熱いことでなによりです。まあ、遅くならないようにね」
「はーい、たっくんがいるから平気だよー」
 そうして私は裕美と別れて、一人で門を出た。さっさと帰ってお風呂にでも入ろう。じじむさいって言われるけど、私はお風呂が好きなのだ。
 てくてくと歩くこと数分。そろそろ夕日が落ちそうだ。歩きながら周りに目をやる。通学路には食べ物のお店もたくさんあるので、部活動で汗を流した体重を気にする健康な女子にはけっこうな誘惑というかなんというか、辛い。あ、たいやきの屋台が出てる……
 ふらふらと意識がそっちに行きかけたそのとき、
「あ、高遠?」
 と、聞き覚えのある声が後ろから近づいてきた。ドキッとしたけど、態度には出さずに普通に振り向く。
「ヤマ?」
 自転車に乗ったヤマがそこにいた。ヤマと家は近所なんだけど、学校まではけっこう遠いので私は電車通学、男の子であるヤマは自転車で通っているのだ。
「鯛焼き?」
 自転車から降りたヤマがいつもの笑顔で聞いてくる。あー、嫌なトコ見られた。
「……見てただけ。おなか空いてない」
 ついぶっきらぼうに答えてしまう。
「嘘でしょ?」
 見抜かれた。相変わらずヤマの表情は変わっていない。
 なにか反論してやろうかと思ったその時には、もうヤマは屋台のおじさんと喋っていた。すぐに両手にたいやきを持って戻ってくる。
「はい」
 それが当然というようにヤマは片方を私に渡してくれた。突然のことなので、考える間もなく受け取ってしまう。
「え?」
「サービス。いつもきちんと仕事してくれてるからお礼だよ」
 そう言って頭からたいやきをほおばるヤマ。角刈りの大男が美味しそうにたいやきを食べるのはけっこう違和感がある。って、そうじゃなくて。
「いいの?」
「いいの」
 言い終わる頃にはもうヤマの手の中にたいやきはない。全部おなかの中である。
「……いただきます」
 そう言って私はしっぽの方から囓った。甘い味が口の中に広がる。なんでだか、私はしっぽのほうが好きなのである。だからいつもこっちから食べる。
「やっぱりお腹空いてたんでしょ?」
 食べながら歩く私の横を自転車を押しながらついてくるヤマ。その笑顔を見て、つい顔を逸らしてしまう。ほっぺたが熱い。
 よく後輩なんかに食べ物をおごってあげたりしているのは目にしているので、これくらいの優しさはヤマには普通なんだろう。けど、そんなに笑って言われたら勘違いしちゃうじゃない……!
 そうして私は顔を逸らしたままたいやきを食べ終わった。その間も、ヤマの気配は変わらずに横にある。
 いつまでも無視するわけにはいかないので、意を決してヤマの方を向いた。さっきから全く変わらない、ひとなつっこい笑顔がそこにある。
「ごちそうさま」
 それなのに私はやっぱり仏頂面で答えてしまう。考えたらヤマといっしょに帰るのなんて中学以来だ。顔には出さないようにと努めてるけど、ドキドキするのが自分でも分かる。よくわからないけど、恥ずかしかった。
「いえいえ、おそまつさま」
 そのまま二人で歩いていく。ヤマは相変わらず自転車を押して歩いてくれている。
「……乗らなくていいの?」
 余計なことを、つい言ってしまう。本当はもっと一緒に歩いていたいのに、頭の中と逆のことを言ってしまう。
「んー、駅までは一緒に歩くよ。どうせ帰り道だし」
 ちょうど夕日が差しこんっでるから表情はわからないけど、それでもとても楽しそうに笑っているのがわかった。
「あ、ありがと」
 つい言ってしまった。緊張して小さな声になったのが唯一の救い。
「ん?」
「あ、いやなんでもないから!」
 全力で否定してしまう。嬉しくて恥ずかしくて、もうわけがわからない。ヤマがどんな顔してるかなんて確認できない。
 そうこうしているうちに駅に着いてしまった。ヤマが立ち止まる。
「ん、じゃあまた明日。学校でね」
 そう言って手を振るヤマ。一瞬、まだ離れたくないとか思ってしまう。
「また明日。たいやき、ありがと」
 そう返事をするのが精一杯だった。くるりとヤマに背を向ける。そのまま改札を早足で抜けて駅のホームまでたどり着いた。はぁ、とため息をつく。電車はまだ来ていない。
 まったくの不意打ちだった。まさかヤマと、途中まででも一緒に帰れるなんて。心臓はまだばくばく言っている。落ち着けない。
 そう、私はヤマのことが大好きだった。そりゃもう健全な男女の恋愛感情でである。生徒会に入ることを決めたのも、最後はヤマの存在があったからだ。
 普段は悟られないようにと身構えているから普通に話ができるものの、今みたいな不意打ちだともう駄目。なにも考えられなくなる。奥手なんだと思う。今まで経験がないのもあって、こういうのは嫌な意味じゃないけど苦手なのだ。誰かに知られたらと考えるだけで恥ずかしくて死にそうになる。そういうわけで裕美にも言ってないし、この手の話になると興味ないの一点張りで通している。おかげでまだ誰にもヤマが好きだということは知られてはいない。
 もう子どもじゃないんだし、こうなったらさっさと気持ちを伝えてしまえばいいんだろうけど。そうできないのには訳があった。もう何度も後悔したことを考える。

「俺、高遠のことが好きなんだけど」
「ごめん、私そういうの興味ないから」

 あろうことか中学の時に、私はヤマの告白をばっさり切り捨てているのだ……!
ヤマが嫌いだったとかではなく、本当に当時は興味がなかったので軽くその場で断ってしまった。でも、それからしばらくして、気がつけば今度は私の方がヤマのことを好きになっていた。告白されたことがきっかけになったのか、それは自分でもよくわからないけどもとにかく。気づけばヤマのことばっかり考える体になってしまったのである。でも一度断ってる以上、自分から好きだなんていえるはずがない。
 ああもう、今考えると自分のバカさ加減に呆れるどころか笑える。どうして保留とか、そういうことにしなかったのか……せめてもっとヤマの気持ちを考えた返事があっただろうに。
 幸か不幸か、それからはヤマも二度とそんな話をしてくることはなく、酷いことをした私にもあの笑顔のまま、それまでと同じように接してくれた。そしてそのまま同じ高校に進学して、去年はクラスも違ったからあまり話もしなくて、その間にヤマは上級生と付き合ってたけど振られちゃって、私はちょっと嬉しくて、自己嫌悪して、今年生徒会でまた会うようになって、今に至るというわけだ。
 電車が来た。とりあえず乗る。座る。頭の中はヤマでいっぱい。あの優しい笑顔とか、声とか、そんなことばかり考えてしまう。
 そうして、落ち着かないまま何とか家まで帰り着いた。家にはいると同時に部屋まで一直線に進む。お母さんが変な顔してたけど、とにかく今は誰にも見られないところに行きたかった。ドアを開けて、制服も脱がずにばふんとベッドに一直線。顔から落ちて、無意味にまくらで表情を隠す。
 あーもう、嬉しいけど! 嬉しいんだけど!



     /



 そして次の日。何事もなく授業を終えて部室へ行くと、そこには誰もいなかった。あれ? と思って壁に掛かっている時計を見る。今日は遅めに着いてしまったので、もう誰かいてもおかしくない時間だ。次は自分の腕時計を見る。曜日確認。木曜日。休みの日じゃないのになんでだろ。
 カバンを降ろして考えていると、ようやく後輩が一人入ってきた。私の顔を見て不思議そうな顔をする。
「あれ? 先輩も来てらしたんですか?」
「来てたもなにも、この時間ならもうすぐ始まっちゃうじゃない。他の面子は?」
「え? 今日って休みですよね?」
 逆に問いかけられた。 あれ、休み?
「なんか今日はグラウンドの工事があるからコート使えないし、試合の後だからたまには休みにするって。先輩言ってたじゃないですか」
「……あれ、それ今日だったっけ」
 そういえば確かにそんな日があった記憶はあるんだけど。
「もー、しっかりしてくださいよー」
 そう言って彼女は背負っているカバンをごそごそやると、裕美が手書きで作った予定表を手渡してくれた。そこには確かに『この日はやっすみー♪』とわざわざ太字で書いてある。
「私、間違ってませんよね?」
「うん、自分で決めといてすっかり忘れてた。どうも惚けたかな、私も……」
 はぁ、どうも本気で忘れていたらしい。昨日のがまだ尾を引いてるんだろうか。とかちょっと思い出しそうになるのを全力で押し込めつつ予定表を返す。
「じゃあ、私は忘れ物取りに来ただけなんで、これで失礼しますね」
「ん、悪かった。このままじゃ一人でコートに出て工事のトラック見て唖然とするところだったわ」
 苦笑する。後輩はにっこり笑うと、そのまま部室を出て行った。

 

 さて。急に部活がなくなってしまうと、やることがなくなってしまう。家に帰ってもいいんだけど、まだそんな気分じゃなかった。毎日部活をやっていると、逆に暇の使い方がわからないし。
 ……これ、女の子としてどうなんだろうなぁ。ちゃんとした趣味の一つでも持ったほうがいいんだろうか。家に盆栽ならいっぱいあるし、一つおじいちゃんにもらってみても……ってそれ女の子の趣味の対極のような。
 そんなふうにあれこれ考えながら校舎の前を歩いていると、見知った部屋の電気がついているのが目についた。よし、あそこでちょっとお茶していこう。どうせあいつも暇してるだろうし。
 そう考えながら階段を上った。



「ハカセー、邪魔するよ」
 そう言いながら私は演劇部の部室のドアを開けた。うちの学校は文化部に優先的に広い部室が与えられるうえ、今は演劇部は部員が一人しかいない。くつろぐには最適だろう。
「ぐがぇっ」
 開けると同時に変な声が聞こえた。あとドア越しに何かにぶつけた手応え。
 目的の人物は目の前にいる。じゃあこの声はなんだろう。
「……ん?」
「入った……おおぅ」
 足下、ちょうどドアノブの辺りには額を抑えてひっくりかえっている男子生徒が一人。顔は見えないけど、こいつとは毎週顔をつきあわせているので顔を確認するまでもない。
「ハカセ、これ、なにやってんの?」
 いちおう横目でうずくまる水菜浜を見つつ、目の前で笑いをかみ殺している演劇部の主、羽瀬川明日香に声をかけた。
「いやー、面白いもの見させてもらったわ。コントみたいに転んじゃって」
 ソファに腰掛け足を組み、ティーカップを片手に優雅に微笑むハカセこと羽瀬川。ちょっと一年の時に色々あって、私はこいつのことをハカセと呼ぶ。
「高遠もお茶飲んでいく? 出がらしだけど。クッキーくらい出るわよ」
 とりあえず水菜浜のことはどうでもいいらしい。
「ん、元からそのつもり」
 準備をしようとするハカセを手で制して、まずソファにカバンを置く。そして私は奥の右から三番目のロッカー、通称食器棚へと向かった。何代か前の演劇部員が揃えたらしく、この部屋にはちょっとしたお茶会を開けるくらいの食器が備えてあるのである。今は部員がハカセだけなので宝の持ち腐れなんだけど、開けるたびに配置が変わっているところを見ると順繰りに使っているんだろう。ちなみに今では勝手知ったる他人の部活。私もよく使っているので場所はすっかり熟知している。部員一人でもハカセはよく部室にいるので、部活が早く終わったときなんかにこうしてお茶をしているのだ。
「ってお前ら、今起こったことは完璧に無視して優雅にお茶か」
 そうしていると、おでこを押さえて水菜浜が立ち上がった。うわ、涙目。だけど。
「十点」
「二十三点」
 私とハカセの声が被る。ちなみにあいつの方が辛辣な点をつけた。
「笑いの批評して欲しいんちゃうわー!」
 関西弁で叫ぶ水菜浜。それを優雅に無視する私たち。ほほほ、とハカセは笑う。
 私は年代物のポットから手早くカップにお湯を入れ、部屋の真ん中に置いてある大きい机に向かった。クッキーの缶のフタの上に無造作に置かれている使い終わったティーパックをつまみ上げて、カップの中にぽちゃんと浸ける。いつものことながらこの適当さはハカセらしい。片づけとか苦手なんだろうなぁ、この女。
 適当に揺らしてお湯が紅茶になったのを確認すると、私はパックの水を切ってゴミ箱へと放った。
「さすがハンド部。狙いはしっかりしてるわねー。って今日は? 休み?」
 ぽすん、と隅のゴミ箱に入ったそれを見送った後、ハカセが言った。
「うん、突発的に休み。だからちょっとお邪魔します」
「どうぞどうぞ」
 そうしてハカセの隣に腰掛ける。砂糖は入れず、そのままカップに口を付けて、ほう、と一息。
「で、あそこのアレ、なに」
 水菜浜を指差す。たしかハカセと水菜浜は仲がよかったような気がするけど、それにしてもあいつはドアの下でうずくまって何をしてるんだろう。
「アレ扱いか……人権擁護団体とか共産党とかに駆け込んだ方がいいんだろーか……」
 ペンチとドライバー片手にドアノブをいじりながらブツブツ言うアレ。面白くないので返事はしてやらない。
「ここのドアさ、壊れちゃったみたいでひねれなくなったのよ。今さっきここに入るときも変な感じじゃなかった?」
「あー、言われてみると。なんか手応えなかったかも」
「でしょ? ずっとあいてるままだから風なんかですぐ開いちゃって。だからずっと前から修理して欲しいって言ってたんだけど」
 ずずずっと音を立てて、カップの中身を飲み干したらしいハカセがようやく答えた。ちなみにこいつは紅茶の底がドロドロになるまで砂糖を入れる。毎回太るぞと脅してはいるんだけど、これでスタイルいいんだから腹立たしい。
「ご存じの通りうちの学校金ないっしょ? 業者さん呼ぶのももったいないから何故か俺が修理して回ることに。どこの部室もガタ来てるみたいでさ、いろんなところが順繰りに昇天してるんだよ、最近」
 ハカセの言葉を水菜浜が引き継いだ。生徒会の仕事に関わるようになって分かったけど、確かにうちにはお金がない。私立のくせに学費が安いしわ寄せがこんなところに来ているらしい。
「あー、じゃあうちのも危ないのかな。着替えとかあるからドアはきっちり閉まって欲しいんだけど」
 たまにアホの男子が覗くのである。そのたびに裕美が泣いて暴れるから何とかして欲しい。
「ん、よーこちゃんとこはもう見てきた。あと十年は大丈夫っぽい。それにあそこはドア厚いし重いから、壊れてもたぶん風なんかじゃ開かないと思う」
「ちゃん言うな」
 切り捨てる。こいつにそう呼ばれる筋合いはない。ちなみにそのまま陽子とか言ってきたら、その時は容赦なく血を見せる予定。
「……で、水菜浜。あんた修理なんてできんの?」
「んー? 俺趣味じゃなくて特技に日曜大工って書けるよ?」
 相変わらずかちゃかちゃやりながら答える。
「そういえば、生徒会の戸棚とかも直してたっけ」
 ノコギリとか引っ張り出して中庭でギコギコやってるのを見たことがある。そういえばヤマとよく二人でぎゃーぎゃー言いながら楽しそうに作業してるっけ……
 ほう、とヤマの顔が頭に浮かぶ。
「関心した?」
「……っ、誰が」
 と、その言葉で我に返った。唐突にヤマのことを考えてしまったので、ぶっきらぼうに答えてごまかす。
 気を落ち着けるために紅茶を口に含んで、水菜浜の後ろ姿を見た。
「まぁ、こういうのって難しそうに見えて中身はけっこう単純だからねぇ。逝っちゃってるバネとかさえなんとかすれば、誰でもけっこう簡単に」
 そう言いつつも作業の手は緩めない。なかなかの手際の良さにだけはちょっと見惚れる。
「にしても、あんたってマメよねぇ。別にそれって生徒会の仕事とかじゃないんでしょ?」
 暇そうに頬杖をつきながらハカセが言った。私と二人してクッキーをつまんで口に放る。
「ま、こういうの実はけっこう好きだったり」
 そう言いながら立ち上がり、ドアノブを何度か回す水菜浜。
「うし、たぶんこれでオッケー。次壊れたら総取っ替えするから、その時は俺か一清に言ってくれれば。予算はどっからか捻り出すし」
 ん。ちょっとヤマの名前に反応してしまう。もちろん表情には出さないけど、念を入れてカップを傾けて顔を確認されないようにする。
「ありがとー。なるべくそうならないよう大事に使うわ」
「ま、あんまりピッキングの練習とかしないでくれると嬉しいかな」
「……もうしないわよ」
 してたのか、ハカセ。
 そうして水菜浜は工具をまとめると、机を挟んで私たちの向かいのソファに腰掛けた。そのままクッキーに手を伸ばして口に放り込む。
「事後承諾だけど、いただきます」
「どうぞどうぞ、予は満足じゃ。今回もよい仕事であったぞ」
「ははー。お代官様のクッキーは最高にござりまする」
 満足したようにふんぞり返るハカセ。時代劇みたいに頭を下げてわけのわからない受け答えをする水菜浜。二人でノリノリの所を見ると、こいつらの中ではこれが普通らしい。
「で、よーこちゃんは? 暇つぶし?」
 こいつはさっき言ったことをもう忘れたのか。
 でも怒るのも馬鹿馬鹿しいので、普通に答えてやる。
「今日グラウンド使えないって忘れてた。部室行ったところで初めて気がついたから。帰ってもやることないし」
「あー、今日グラウンドの土入れ替えるんだっけ。一清がなんか言ってたような」
「どっちかと言うと入れ替えと言うよりは整地なんだけど」
「じゃ、まあゆっくりしていって。どうせ今日はやることもないし」
 ボリボリとクッキーを囓りながらハカセが言った。返事の代わりに私もクッキーを口に入れる。
「ん、じゃあ俺はそろそろ戻ろうかな。ねーさん、潤平によろしく」
「はーい」
 ハカセが部室によくいるのは、バスケ部の彼氏を待っているというのが正直なところらしい。そういえば裕美の彼氏もバスケ部だったなぁ。うらやましいヤツらめ。それに比べて私の方は……
「あ、そうそう。ちょうどいいからよーこちゃんに一つ質問」
「ん?」
 クッキーを飲み込んで、紅茶を一口含んだところで水菜浜が言った。
「あのさ、よーこちゃんって一清のどこが好きなわけ?」
「ぶっ!!!!??」
 盛大に吹いた。けどそんなことはどうでもよくて、いやなにを言い出すんだ急にこいつはどうでもよくない……!
 顔がカッと赤くなるのが自分でも分かる。あ、これたぶん耳までまっかっか。頭のなかの変に冷静な部分がそう告げる。
「……高遠、すっごいわかりやすいわね」
 クッキーを手に持ったまま、ぽかんとした顔でハカセが言う。言ってると思う。恥ずかしくてまともに前を向けない。反射的にヤマの顔とか頭に思い浮かんでもう手に負えない。ほっぺたが熱い。いや確かに好きだけど好きだけどなんで急にこいつに誰にも言ったことないのに……!?
「やー、まさかここまでだとは。ごめんよーこちゃん、仕返しにしては度が過ぎた?」
「仕返し? 高遠に?」
「うん、さっきドアでデコッパチにされた仕返し。よーこちゃんみたいなカタブツには効果てきめんだろうと思って」
「うわ、趣味わる……」
「もちろん笑って見てたアナタにもいつか災いが降りかかります。頑張れ。生きろ」
「……ゆるしてください。クッキー全部食べていいから」
「いやもうこれ粉しか残ってないし」
「にしても、よく分かったわねー。高遠って色恋沙汰に興味ないと思ってたわ」
「んー、視てたら分かるよ? 生徒会の時とか、よーこちゃん一清見てるときは視線の熱さが違うから」
「あんたって他人の色恋沙汰には目ざといわよね……」
「一清は全然気付いてないみたいだけど。っと、よーこちゃん落ち着いたー?」
 なんか言ってるけどあーもうわけわかんない落ち着いた好きにしろ好きですごめんなさい。
「おーい、おげんきですかー? わたしはげんきですー」
 ひらひらと目の前で何かが揺れている。と、そこでようやく状況が理解できた。頭のてっぺんから急に熱が退いていく。揺れていたのは水菜浜とハカセの手だった。
 とりあえず冷静になろうと思ってティーカップを持つ。まだ中身は残ってたはず。
「……相当キてるわね、高遠」
「え?」
「それ私の使ってたやつ。あんたがよく言う砂糖ドロドロ」
 あ。
「はい」
 そう言って、水菜浜が私の使っていたほうを差し出してくる。素直に受け取って左手にティーカップ。右手にもティーカップ。
「そっち。右手はこっち」
 右手のティーカップが水菜浜の左手に移る。
「とりあえず、飲む」
 カップに口を付ける。ぬるい紅茶の香りが鼻に抜けていく。
「深呼吸」
 すう。
「落ち着いた?」
 はあ。
 そんな水菜浜の声が聞こえる。確かに落ち着いた、けど。ついさっきのことを思い出す。
 取り乱した。今度は別の意味で恥ずかしい……
「やー、恥ずかしいならすっとぼければよかったのに。あんな反応されると言った方が謝りたくなるというか」
 いつの間にか水菜浜も向かいに戻っている。
「うるさい早く消えろ。二十四時間以内にその顔を見せたら殴り飛ばす」
 つっけんどんに答えてやった。ああもう、腹立たしい……!
「って、じゃあ命がなくなる前に今度こそ退散ー。またこの話はいずれー」
 水菜浜は心底楽しそうに笑うと、そのまま床に置いてあった工具箱を持って部屋を出て行った。その背中をにらみつける。早く消えろ……!
 ぱたん、と直したばかりのドアが閉まるのを確認する。そして私はカップに残っていた紅茶を一気に飲み干した。
 だん、と割れんばかりの勢いでカップを机に置く。隣にはにやにやとほくそ笑んでいるハカセの顔。
「……なによ」
「いやー、まさかあの高遠がねー。男子には全然興味ないってフリだったのに。ふーん」
 ほほほほほと笑うハカセ。本当に殴ってやろうかと思う。
 その感情をなんとか押しとどめて、私は盛大にため息をついた。
「はぁ……ムカつく。なんでバレてたんだろ」
「あいつ、こういうことに関しては犯罪的に鼻が利くのよ。生徒会でずっといっしょだったならもうアウトね」
「なにがアウトなのよ……」
「もー、真っ赤な高遠も可愛いんだからー」
 そう言って抱きついてくるハカセ。ああもう恥ずかしい。このままじゃもし今日ヤマの顔を見てしまったら大変なことになりそうだ。あいつは下校時刻まで生徒会室から出てこないから、今のうちに帰った方がいいかも。
「ごめん、ハカセ。今日はもう帰るわ。調子狂った……」
 ハカセをひっぺがしてカバンを探す。今日はまっすぐ帰って暇しよう。
「……あれ?」
 ない。確かソファの上に置いたはず。
「捜し物はこれかなー?」
 振り向くと、私の手提げカバンを持ってにっこりと笑うハカセの顔があった。あ、という間もなく自分の背中側に隠してしまう。
「なに……」
「だって今日暇なんでしょ? こんなに面白い話聞いちゃったらタダで帰すわけにはいかないわよー。お茶の恩だってあるんだしー?」
「あんたもか……」
「じゃあじゃあ、ね、いつから好きだったの? 前から? ヤマさんと小学校からいっしょよね?」
 身を乗り出して聞いてくるハカセ。しまった、こいつもこういう話は大好きだった。カバンはしっかりガードされていて、引っ張り出せそうにない。
「……はぁ、仕方ないか」
 なんだか、もうどうにでもなれという気分だった。とりあえず水菜浜は明日締めておこう。そう決意する。

 結局日が暮れるまで根掘り葉掘り、色々言わされてしまったのだった。
 確かに恥ずかしかったけど、ちょっとすっきりしたような。



     /



 さらに次の日。昼休みに裕美と一緒に食堂でご飯を食べていると、男子生徒が遠くから手を振っているのが目についた。誰なのかはすぐに分かったけど、昨日の今日で癪なので無視して目の前のごはんに手を着ける。
 どんどん近づいてくるけど無視。もぐもぐ。
 目の前に来ても無視。もぐもぐもぐ。
 笑顔で手を振ってるみたいだけど無視。もぐもぐもぐもぐ。
「……………」
「……………」
 目を合わせることなく双方無言で対峙する。
「……二人とも、怖いよ?」
 ついに裕美が音を上げてしまった。なので仕方なく目の前の男の顔を見る。
「……なに?」
「ん、いやちょっと。きわめて事務的な用事で」
 水菜浜はそう言うと、私じゃなくて裕美の方に向き直った。ほえ? と裕美も顔を向ける。笑顔も消して、嫌に真剣な表情になる水菜浜。あー、またやるつもりだコイツ。
 水菜浜は深呼吸すると、意を決したように告げた。
「小宮っち。実は十年前からあなたのことが好きでした……」
 変なポーズまで付けて高らかに言う水菜浜。一度死んでこい。
「えー、やっぱり駄目だよ。私にはたっくんがー」
 馬鹿の告白には全く動じない小宮裕美。そう、いつからかは忘れたけど、これが裕美と水菜浜の間での挨拶なのである。ちなみにお互い百パーセント冗談だと分かっている。簡単に言うとどっちも馬鹿。
「相変わらず?」
「相変わらず」
 そのまま自分の世界に行ってしまった裕美を見て、水菜浜は楽しそうに言った。私はそのまま返してやる。裕美はいつでもバカップルなのである。
「ん、まあ冗談はさておき。事務的な用事はホンマやから」
 今度は私の方に向き直って水菜浜が言った。たまにこいつの言葉には関西弁が混じる。本人も意識してないところを見ると、どうもそっちの出身ということらしい。
「悪いけど、今日の放課後は適当に切り上げて生徒会室来てくれない? そろそろ予算組まないと」
「あー、もうそんな時期だっけ」
 うちの学校の部活動の予算の割り振りは大部長と生徒会の会計が協議して決めることになっていて、一応これが大部長の権限の一つになっている。私の部でもいろいろ買って欲しいものを申請したけど、他の部から集まってきたのをぜんぶ足すと予算を軽く二回りほどオーバーしてたのを思い出した。む、なんとしてもボールだけは買わないと……
「じゃあ私が後輩たち見てあげるからー。陽子ちゃんは適当にそっち行きなよ」
 いつの間にかこっちの世界に戻ってきていた裕美がそう言った。私の学年の部員は裕美と私だけなので必然的にそうなるんだろうけど、彼女に任せるのはその性格と過去の例から不安がその、いろいろ。
「……じゃあ頼むわ。私も途中までは一緒にいるし」
 でも背に腹は代えられない。まさか今回も後輩に聞かれるままにのろけで部活の時間を終わらせるとか、そういうことはしないだろう。しないでください恥ずかしいから。
「んじゃ悪いけどそういうことで。途中まで俺と一清で片づけとくから、まあ適当に来て」
「あれ、ヤマも?」
 水菜浜は大部長兼会計なので、てっきり二人だけの殺伐とした会議になると思ってたんだけど。
「ん、あいつ一応自分も部長だから手伝うって。自分の仕事でもないのに手伝ってくれる辺り一清らしいというかなんというか」
「山本くん優しいもんねー」
「顔に似合わず」
 すぐさま水菜浜が付け足した。それを聞いてつい笑ってしまう私たち。そういうことならちょっと早めに行こうかな。
「じゃ、そういうことで。よろしくー」
 くるりと私たちに背を向けるとそのまま手をひらひらと振って、水菜浜は食堂を出て行った。



 着替え終わって生徒会室に行くと、水菜浜とヤマが二人で机に広がる書類と格闘していた。特に考えもなく、思いつきでドアの隙間から様子を眺めてみる。 
「んじゃ次、UFO研究会。って何これ」
「んー、たしか今年の一年生が立ち上げた同好会だね。よく屋上で未確認飛行物体の撮影会とかしてるよ」
「うわ、個人的にはものすごい応援したいけど。残念ながら同好会には予算出ないって大原則あったよな、うちの学校」
「うーん、しかもパラボラアンテナ一式十万円ってのはちょっとね……」
「よし、没。少年よ、夢はバイトして追いかけてくれ。そしていつかは現実を見るように」
「うちはバイト禁止だよ。水菜浜がやってるのは校則違反」
「いやだから俺のは許可出たって。生活費がないんですって通帳の残高見せたら一発だったんだけど」
「それは壮絶だね……」
「高校生にして下宿って辛いのよ……」
 ……なんか面白い話をしてるけど、そろそろ入ろう。がちゃりとドアを開ける。
「あ、よーこちゃん。おつかれー」
「わざわざありがとう、高遠。まあ座ってよ」
「ううん、これ私の仕事だし」
 すぐに振り返って出迎えてくれる二人。こういう空気ってちょっといいなと思ってしまう。これがもしヤマと二人っきりだったらもっと嬉しいんだろうか。それとも緊張しちゃってろくに話せないんだろうか。たぶん後者だと思う。だから今だけは水菜浜に感謝。
「それじゃ早速だけど。いまこんな感じなんだよ」
 わざわざヤマから遠くになるように水菜浜の隣に座ったのに、すぐにそのヤマが一枚の紙を手渡してきた。遠いと言っても手を伸ばせば届く位置。いつもの会議より人数が少ないからか、変に緊張してしまう。
「つまりまだまだ予算足りてないから。一清と俺とで片っ端から無駄を排除していってる最中。その辺に転がってる紙束が申請の紙。右の方にチェック済みを置いていってるから」
 隣の水菜浜が説明してくれている。いつまでも緊張していても仕方がないので、散乱している書類の一つを手に取った。たまたま選んだそれには『囲碁将棋部部長・山本一清』の名前。ヤマはだいたい生徒会の仕事を優先させるので、部長で幽霊部員とか言う変なことになっているのだ。
 相変わらず書いてある字は汚かった。うわ、昔から変わってないな……
「あ、それ一清のトコの?」
 そう言って水菜浜が私の手からひょいっと書類を取った。む、もうちょっと見てたかったのに。
「……ええと、一清、これは何か」
「んー、やっぱり駄目? 一応書いてみたんだけどね」
「不可。これならさっきのパラボラの方がまだ夢があるわい」
「ってちょっと、何が書いてあるのよ」
 私はそう言うと水菜浜の手元をのぞき込んだ。ヤマのことだからそんなに無茶な物は書いてないと思うんだけど……
 ……高級碁石セット・十五万円。
「却下」
「うわ高遠まで、酷い」
 そう言って笑うヤマ。どうせこの場でこうなることが分かっていたのか、言葉に反して楽しそうだ。
「そういう水菜浜こそ、これなに?」
 次はヤマが書類の山から『放送部部長・水菜浜ハルキ』の書類を見つけて言った。ぎく、と水菜浜の動きが止まる。
「最初の方はまあ許せるとしても、最後の方の包丁とか電子レンジって」
「いやほら、あれば便利かなーと。主に俺の私生活に。一応最後に書いたのが俺のつつましさ?」
「……馬鹿?」
 思わず声に出してしまった。まさか見つからなかったら権限で通すつもりだったんだろうか、この馬鹿は。
「む、じゃあよーこちゃんのは」
 そう言って水菜浜は私の書いた書類を掘り出した。もちろん変なことは書いていない。
「私があんたたちみたいに変なこと書くわけないでしょうが」
 だから自信たっぷりに言ってやった。なんせ書いた本人なんだから。最後に裕美にもチェックしてもらったから間違いはないはず。
「あ、一清。これ」
「んー、これは確実に通せないね」
 二人してそう言うと、こっちを向いてにんまりと笑いかけてきた。
「……なによ、別におかしな事は書いてないと思うけど」
 とは言ったものの、ちょっと不安になって水菜浜から書類をひったくる。部室の掃除用具にボールにおかしいちねんぶんに破れてしまったゴールのネット。ユニフォームは自腹を切ることにしたから別におかしいことは書いてない……って!
「おかしいちねんぶん」
「おかしいちねんぶん」
 そう言うとこらえきれなくなったのか、糸が切れたみたいに笑う二人。書類を持つ手がわなわなと震える。そこには明らかにに私以外の字で一行付け足されていた。それができた人間は一人しかいないので犯人確定。彼女のぽけっとした顔を思い描く。
「確認させる人間を間違えた……」
 私はそう呟くしかなかった。はぁ、今頃ちゃんと部活やってるのかな、裕美……


 そうこうしているうちに、少し休憩を入れようということになった。下校時刻まではまだ一時間ほどある。
「あー、肩凝った」
 そう言って上で手を組んで伸びをする水菜浜。ヤマも似たようなことをしている。私も正直背中が痛い。三人で騒ぎながらどんどん書類にチェックは入れていったけど、まだもう少し残っていた。気が抜けて、はぁ、と机に突っ伏す。
 すると、けたたましい音とともに机が揺れた。思わずびくんとなってしまう。足下は揺れてないから地震じゃない……!?
「あ、ごめん。俺の携帯だわ」
 一瞬でも身構えたのが馬鹿みたいだった。
 マナーモードのくせに着メロよりうるさいってのはどういう了見なんだろう。いつから置いてあったのか、机の上でけたたましい音を立てるそれを掴んでそのまま水菜浜は窓際へと歩く。
「もしもしー? あ、高畑のおやっさん」
 そして話し始める水菜浜。うちの学校では校内での携帯の使用は禁止なんだけど。
 生徒会室は狭いので、話し声は筒抜けだ。
「え? それで、大丈夫なんですか?」
 水菜浜の声のトーンが変わった。ヤマも気付いたみたいで、それとなく窓際に注意を向けている。
「あー、いえ、そういうことなら気にしないでください。今から十五分くらいで行けますから」
 何か身内に悪いことでもあったんだろうか、不吉なことが頭をよぎる。
「じゃあそれまでに支度しておいてください。ちょうど入れ違いにするってことで……はい」
 そう言うと、水菜浜は電話を切った。別に深刻そうな顔じゃない、けど。
「何かあったの?」
 私が言う前に、ヤマが心配そうに聞いた。
「や、バイト先の奥さんが事故ったみたいで。命に別状はないらしいけどおやっさ……店長が病院に行ってる間は店の応援頼むって、そういう話。悪いけど今日は抜けさせてもらえる?」
 手を合わせて頭を下げる水菜浜。それは、もちろん。
「そういうことなら別に」
「かまわないよね」
 ヤマとうなずきあう。今やってる仕事とどっちが大事かくらいはわかる。それになんだかんだ言いながら、水菜浜は会計の本分を発揮するように私たちの倍くらいの量の仕事をこなしていた。
「じゃあ悪いけどあとはよろしくー! どっかで埋め合わせるから!」
 水菜浜はそう言いながらカバンを掴むと、走って生徒会室から出て行った。
「……頼りにされてるんだね、水菜浜」
 その後ろ姿を見送って、ぽつりとヤマが言う。やっぱりいつもの通り、穏やかな顔のままだ。
「癪だけど、頼りになるのは事実なのよねぇ……」
 本人の前では絶対に言ってやらないけど。
「ははは」
 と、そこで気付いた。仕事はまだ終わってない。でも早く終わらせないといけない。下校時刻ぎりぎりくらいまではかかるだろう。そして水菜浜はいない。ということは。
 ……ヤマと二人っきり?
 急になんかこう、頭に血が上ってくるのがわかる。
「じゃ、ヤマ。さっさと終わらせちゃおっか」
「んー、もう始めるの? まだ休まなくていい?」
「うん、人手が減ったんだから早くやらないと」
 そう言って私は机に向き直った。もちろん照れ隠し。なんというか、何かやってないと気が散ってたまらないような気がしたのだ。
 ヤマは無言で書類を手に取り始めた。さっきと位置関係は変わらないけど、真ん中に人がいない分、さっきよりヤマを近くに感じる。うわ、ちょっとこれ、まずい。いや何がまずいんだ私。
 ぱらぱらと紙をめくる音だけが響く。さっきまであれだけ話をしながら作業をしてたのに、すっかり私たちは必要最低限のことしか喋らなくなっていた。
「んー、やっぱり水菜浜がいないと急に静かになっちゃうねぇ」
 急に、ヤマがぽつりとそう言った。
「静かになってちょうどいいんじゃない?」
 私はついぶっきらぼうに言ってしまう。自分でも可愛くないなとは思うんだけど、それよりもこの場にヤマしかいないっていうのを意識してしまって上手く話せない。
「あのさ、高遠。ちょっと聞いていいかな」
「ん?」
 別にヤマの声に変わったことはない。だから私も軽く返事をする。隣で一瞬だけヤマが息を呑んだような気がした。
「その、水菜浜のこと、好き?」
「は?」
 そう答えてしまった後でこう、胸がぐっと詰まった。自分でも分からないけど、なんだか苦しい。
「いやほら、なんだかんだ言って仲いいし。今だって急に静かになっちゃったし、どうなのかなって」
 いつの間にか夕日が教室いっぱいに差し込んできていて、ヤマの表情は見にくかった。いつも通りに笑ってるんだけど、なんだかそれは寂しそう、で。
「……………」
 とっさにいい答えが思いつかない。いつもみたいにスパッと切り捨てたらいいんだけど、なにも言うことができない。何でか分からないけど、泣きそうになる。
「違う」
 なんとかそれだけ言えた。あとは言葉にならない。そこまで来ている涙をぐっとこらえるしかできない。あれ、なんで涙なんて。泣きそうなんだろ。
「……ごめん、変なこと聞いちゃったみたいだね」
「謝らないでよ」
 謝れ。なんで私にそんなこと言うんだ。私が好きなのはヤマなのに。あんな変なヤツじゃなくて、ヤマの笑顔が、雰囲気が、いつも優しいところが好きなのに……!
 沈黙。ヤマも何で何も言わないの? よくわからないけど、時間だけが過ぎていく。
「わたしが、すきなのは」
 もう言ってしまおう。言ってしまってはやく楽になろう。私が今更言える義理じゃないけど、どっちにしたって今よりマシだ。でも言葉が続かない。のどがつまる。決心する。ヤマの顔なんて見れない。
「わたしが、すきなのは、や……」

「うーす、仕事頑張ってるかー!」

 ノックも無しに唐突に野太い声が飛び込んできた。二人ともびくりとして、張りつめた空気が一気に消える。
「お、なんだなんだ。二人しかいないのか。またサボりか? あいつは」
 そう言ってのしのし入ってくるのは生徒会顧問の赤松先生、通称赤ジャーである。なにも赤松だからっていつでも赤いジャージじゃなくていいのにと、生徒にたいそう評判のいい先生である。
「いえ、用事ができたからって先に帰りました。それまで熱心でしたよ、水菜浜くん」
 突然の闖入者に涙も引っ込んだのか、私はすらすらと普通に答えられた。十秒前まで死にそうだったのが嘘みたいだ。
「そうかそうか、じゃあまあアイツには悪いがな、これ二人で食べてくれ」
 赤ジャーはそう言うと、袋をヤマに手渡して、のしのしと帰っていった。
 ぱたんとドアが閉まるのを見たあと、ついヤマと顔を見合わせてしまう。
「……………」
「……………」
 ぷ。
 あ、やば。これさっきとは逆の発作。あの顔はたぶんヤマも一緒、そう思ったときにはもう声が出ていた。
「あははははははは!」
 二人の声が被る。緊張が解けてハイになったのか、何も面白くないのに私たちは笑い続けた。馬鹿みたいに。
 二人してはぁはぁ言いながら、ようやく笑いの波が収まる。あー、さっきまでの空気はなんだったんだろ。
「あー、ごめん高遠。さっき変なこと聞いた」
「んーん、あの馬鹿が好きだなんて誤解を早く解けて良かったわ」
 未だに笑いの尾が引いてるけど、あっさりと答えられた。ヤマももう笑顔に戻ってるし、私もそれ以上何も言うつもりはない。明らかにさっきはどうかしてた。
「あ、これ」
 そう言いながらもらった袋をごそごそやるヤマ。その手に握られているのは。
「たいやき?」
「鯛焼き。しかも一個しかないよ、これ」
 あの先生はこれを三人で分けさせるつもりだったんだろうか。
「はい、じゃあこっち」
 ヤマはたいやきを半分に割ると、しっぽのほうを渡してくれた。偶然だろうけど、ちょっと嬉しい。ぱくっと一口で食べてしまう。いつもはもっとおとなしく食べるんだけど、今はそんな気分じゃなかった。
「んー、いい食べっぷりだね」
 そう言うヤマの手にはもうたいやきはない。たぶんお腹の中である。
「さてと、それじゃおやつも食べたところで、さっさと続きをやっちゃおうか」
 そう言って机に向き直るヤマ。私もそれに従う。
 ちょっともったいなかったかな。気持ちを伝えられなかった後悔をすぐに打ち消す。言ってしまったらどうなるかわからないし、今はもうちょっとこのままでいよう。
 ……それにあーもう、やっぱりさっきのを思い出すと恥ずかしい。当分今のままでいいよ、うん!
 そう決心すると、私は一気に仕事を片づけるべく、制服の袖をまくって気合いを入れ直した。



     /


 いつもより遅く家を出ることにした。別に遅刻していこうとかそういう訳ではない。
「じゃ、行ってきまーす!」
 お母さんに挨拶してドアを開ける。目の前には、最近使ってなかったからちょっとボロさが目立つ自転車。使ってないのに汚れてるのってなんでだろう。そう思いながら鍵をはずす。
 快晴の空の下、自転車をこいで道を行く。ちょうど通学途中の小中学生と擦れ違った。そういえば、私とヤマもこんな感じだったんだろうな……。そう思いながら先に進む。
 うちから数えて三つ目の角を曲がると、そいつの背中が目に飛び込んできた。うちの学校の制服を着ている大きな後ろ姿を見間違えるはずがない。
 ちょっとスピードを上げて、一気に抜いてやる。そいつは私に気がつくと、にっこりと笑って言った。
「おはよう、高遠」
「おはよ、ヤマ」
 最近の日課を済ますと、私たちは無駄話をしながら目的地へと向かった。
 そう、私は電車通学を止めて自転車で学校に通うことにしたのだ。ちょっと遠いけど、部活で鍛えてる体には別にたいしたことはない。逆にトレーニングにもなるし。
 というわけで、朝から元気に四十分ほど自転車に乗ることにしたのである。
 ……もちろんそれはただの口実だけど。目的は、その。いやあれ以来もうちょっと素直になろうかなとか、もっとヤマと一緒にいれたらなーと思ってもしかしたら自転車で通学したら行きか帰りにたまーにヤマに会えるかもしれないなとかあまつさえ一緒に登下校できるかなーとか、そんな。
 顔が熱くなってきたのでスピードを上げた。風が今日は気持ちいい。
 そんな下心で始めた自転車通学だったが、これが思いの外当たりだった。いやその、ちょうど通学の時間が一緒なのか、家を出てすぐのところでヤマの背中に出会うのだ。それも毎日同じ所で。
 最初にヤマを見つけたときはヤマも少し驚いてたけど、いつも通りの笑顔で「じゃあ一緒にいこっか。高遠が嫌じゃなかったら」とか言われて、あまりの都合の良さに自分で笑いそうになった。
 最初は恥ずかしかったから無言で着いていくだけだったけど、今では慣れてしまったのか、こうしてどうでもいいことを喋りながら一緒に学校に向かっているのである。毎日。
 水菜浜がこれを知ったら何を言われるだろうと思ったけど、意外にあいつはからかってはこなかった。
 ……ただ一度、擦れ違うときに肩を叩かれて「がんばれ」って言われただけで。
あの時のあいつの意地の悪い笑みは一生忘れないだろう。たぶん。
「あれ、高遠。大丈夫? ちょっと速すぎた?」
「ん、平気。ちょっと朝から馬鹿のことを思い出して気分悪くなっただけ」
 それで察してくれたのか、ヤマはにっこりと笑ってくれた。ちなみにハカセは顔を合わせるたびにからかってくる。もう好きにして……
 学校に着いた。二人でいるのはここでおしまい。私もヤマも自転車を止めると、挨拶をして別々に歩いていく。
 まあ、付き合ってもないんだし。これが普通なんだろう。ちょっと名残惜しいけど。
「あー! 陽子ちゃーん!」
 下駄箱の手前で裕美は私を見つけると、大声をあげて手を振ってきた。あの子は朝からテンションが高い。恥ずかしいんだろう、一緒に登校してきた彼氏がうつむいている。
「じゃあねー、たっくん。また夕方ー」
 彼氏は苦笑すると、裕美と別れて校舎へと入っていった。いくら何でもこんな調子で恥ずかしくないんだろうか、裕美は。
「ね、陽子ちゃん。自転車には慣れた?」
「うん、乗ってみると意外に近かったし。いままで定期代と時間損したなーって、そんな感じ」
「そっかそっか」
 そうして、裕美の教室の前まで二人で歩いていく。
「それじゃ裕美、ここで」
「うん、陽子ちゃんまた後でー」
 そう言って教室に入っていく裕美。私も遅刻しないように自分の教室に行かないと。
 足を踏み出しかけたところで、裕美がくるりと振り向いて言った。
「よかったね、毎日山本くんと一緒に学校に来れるようになって」
「えっ……!?」
「へっへー」
 裕美はぺろりと舌を出すと、今度こそ教室に入っていった。
「……バレてた?」
 うめく。うわ、いつから知ってたんだろ、あの子……
 チャイムが鳴った。周りのみんなが走って教室に入っていく。私も遅れずに教室へと向かう。今日は生徒会だ。またヤマの顔を見れるのが嬉しい。

 告白とかはまだできそうにないけど。ま、その。
 一歩前進、かな?

 


あとがき

 ほら、小学生くらいのときに「お前○○が好きなんだろー」「そんなんじゃねーよ」みたいなやりとりってあったじゃないですか。そんなのがテーマだったり。言いたいけれど言えないジレンマ。たぶん言ってしまえばスッキリするんでしょうけどね。

 文章に関しては主軸になるものが薄いというか、無駄なディティールが多いというか。反省点も多々。

テーマソング 夏の魔物/SPIT

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