自転車に乗って。


 ///


 そこはいつでもまっ白で、清潔なのが頼もしかった。
 階段を歩いて目的の部屋へ向かう。ノックしてドアを開けると、ベッドの上で暇そうに漫画を読んでいる男の子が見えた。
「やっほー、こーちゃん元気ー?」
「ん、見ての通り相変わらず」
 とりあえず声をかけると、こーちゃんは漫画から目を離すこともしないで声だけこっちによこしてきた。む、人がせっかく見舞いに来てやったというのに。
 とりあえず鞄をベッドの横の椅子に置いて、ちょっと考える。よし、決まり。息を殺して忍び寄る。
「こら、それがお客さんに対する態度かー!」
「うわっ!」
 後ろから漫画をのぞき込むようにして言ってやった。つまりこーちゃんの耳の横で。さすがにこれにはびっくりしたのか、ようやく漫画を閉じてこーちゃんはこっちを向いた。
「まったくマキちゃんは。漫画くらいゆっくり読ませてよ」
「そんなのいつでも読めるでしょ? 私がせっかく来てあげたんだから他にすることないの?」
「いやー、入院してると一気に漫画読めていいね。完結してないやつは続きが気になるけど」
 人の話を聞け。いつものことながら一瞬ムッとなる。まあ、でも。
「それにしても、今日は調子いいみたいね?」
「うん、おとといからなんか楽。よくわかんないけど薬が変わったのかも」
 そう言って笑うこーちゃんの顔色は確かによかった。何を隠そう、彼は病弱なのだ。
 彼とはちっちゃい頃から家が近所で、遊ぶときなんかはいつもこーちゃんは私の後ろをついてまわっていた。私の方が年上というのもあり、いつのまにかそうなったんだろう。
 こーちゃんは生まれつき体が弱いらしく、よく体調を崩していた。普通の人には軽い風邪で済むようなものもなかなか治らないなんていうのは茶飯事で、ひどいときにはそのまま入院することもあった。今回もそうだ。
 で、近所のよしみというか昔から一緒にいた縁というか、そういう時はよくお見舞いに来てあげているのだ。
 友達には毎日見舞いに行くなんて怪しいとか言われるけど。ふんだ。
「あれ、こーちゃんこれ持ってたっけ? 私も読みたかったんだけど」
「あ、どこまで読んだかわからなくなるのにっ」
 無視してこーちゃんの手から漫画をひょいとつまみ上げる。残念、いきなり六巻。
「学校の友達に借りたんだよ。さっきまで来てたんだけど、すれ違わなかった?」
「ううん、それらしい人は見てないけど。入れ違いになったのかも」
「そっか、じゃあまた頼んで最初から持ってきてもらうよ」
「うそ、いいの?」
 思わぬ収穫があった。周りに持ってる友達もいないし買うのもけっこうなお金だしと思ってたところで、ありがとうこーちゃん……!
「うん、でも久しぶりにシュークリームが食べたいかな。駅前の」
 にっこり笑うこーちゃん。童顔な上に話題がシュークリームなのでよけいに幼く思える。こうして何かの見返りにお菓子を欲しがるのがこーちゃんの癖だった。端から見たら図太いんだろうけど、これは昔から変わってなくて私には可愛く見える。
「はいはい、でも一個だけよ? よしよし」
 だから子ども扱いして頭をなでてあげた。体調を悪くしていてもさらさらの髪が気持ちいい。
「むー、マキちゃん、いつまでも僕を子ども扱いしてー」
 それでも振り払わないのもいつものことだった。気分をよくしてさらになで回す。まったく、可愛いんだからこの子は……
「それじゃ、それは明日にでも持ってくるとして……」
 ひとしきり楽しむと私は手を離して、鞄を置いてあるのとは隣の椅子に腰掛けた。そのまま鞄をごそごそまさぐる。これが今日の目的だし。
 こーちゃんもそれに気がついたのか、身を乗り出してこっちを見る。
「そうだ、マキちゃん、あのCD持ってきてくれた?」
「はいはい、ちょっと待ってねー」
 そんなこんなで、私は看護婦さんに止められるまでこーちゃんと話し込んでしまった。


 ///


 自転車に乗って。

 辺りはまだ暗い。


 ///


 入院してても勉強は待ってくれない。
「だからー、こっちに『ぞ』があるから」
「……連用形だっけ?」
「惜しい、連体形」
 こーちゃんは受験生である。それは病気がちでも変わらない。幸い、私はストレートで入試というものをクリアしたので、こうやって勉強を見てあげるのもよくあることだった。机を出して、マンツーマン授業である。
「うーん、こーちゃんって典型的な理系よねぇ。数式覚えるのと文法覚えるのってたいして変わらないと思うんだけど」
「マキちゃんみたいになんでもできるほうがおかしいんだよ」
「褒めてるのかしら? それ」
「うん、べた褒め。こういうのなんていうんだっけ、最上級でモストがつくの?」
「褒めてない、それ絶対褒めてない」
 そんなこんなで勉強を見ること小一時間。多少つまずくとはいえ、基本的にこーちゃんはやればできる子なので教える方も気が楽だ。
「あー、もう面倒くさい。疲れた休憩寝る」
 やれば、だけど。
 そのままこーちゃんはぺたっとベッドに倒れ込んだ。
「まあでも、今日は頑張ったほうよね」
 こーちゃんが放り出したノートをめくりながら私は言った。
「いちおう受験生だからねぇ……」
 やっぱりやる気なさそうに言う。昔からテスト勉強をしたせいで体調を崩して苦労が水の泡になったりしているので、勉強することにいいイメージを持てないのも当然かもしれない。
「勉強なんかよりもっと楽しい話しようよー。どこかに遊びに行くとか。うん、それいいね、遊びに行こうよ」
「遊びにって、いま受験生だって言ったでしょ、自分で」
「一日くらいいいと思うんだけど? ほら、海とか行きたい」
 がばっと起きあがるこーちゃん。さっきまでのけだるい顔はどこに行ったのか、おもちゃを買ってもらった子どもみたいに楽しそうだ。
「えっとね、昔みんなで海に行ったの覚えてない?」
「え?」
 確かに海は近くにある。近所と言うほど近くはないけど、その気になれば自転車でも行ける距離。
「ほら、子ども会で行ったやつ。僕が夜中に抜け出していなくなった」
「あー! あった、それ!」
「マキちゃん、うるさい……」
 思わず大きな声を出してしまったけど、完璧に思い出した。
「目が覚めたからってそのまま寝ぼけて外に出ちゃった時でしょ。探したわよあのときは」
「うん、そう。もうほとんど覚えてないけど」
「私ははっきり覚えてるわよ」
 大部屋で雑魚寝だったんだけど、誰かがこーちゃんがいないって騒ぎ出して夜明け前なのに全員総出で探し回ったのである。あのときはこーちゃんのおばさんが取り乱して大変だった。大変だったのに当事者が覚えていないというのは癪だというかなんというか。
「でさ、小さかったからほとんど覚えてないんだけど、一つだけ覚えてるんだよね」
「ん、何を?」
「夜明け」
「夜明け?」
「うん、ほら、僕見つかるまで砂浜に一人で座ってたでしょ? たぶんそのときだと思うんだけど、最初は真っ暗だった海がだんだん明るくなってきて、こう、ぱーって」
 両手を振って楽しそうに説明するこーちゃん。
「海と空の境目がぱーって光って、すごくきれいだったんだよ。それだけはっきり覚えてる。頭の中で美化されちゃってるかもだけどね」
 うーむ、砂浜でじっとしてるこーちゃんを見つけたのはわかるんだけど。そうだったんだろうか。
「最近よくそれ思い出してさ。もうすぐ夏休みだし、また見に行きたいなー、って。だめ?」
「駄目じゃないけど……それなら朝早くでしょ? 大丈夫?」
 ちなみに私は大丈夫じゃないんだけど。朝弱いし。
「前の日から泊まればいいんじゃない? 二人で」
「……二人で?」
「うん、二人で。変かな、もう親と一緒に遊びに行く歳でもないでしょ? いやほんと、泊まりがけで行く価値があるくらい綺麗だったよ?」
 さも当然のように言うこーちゃん。意味わかってるのかしら、この子は。
「あれ、マキちゃん、なに赤くなってるの? 部屋暑い?」
 本当に不思議そうに聞かれると返事ができないんですけどー!
「えー、ごほん。まあでも、とりあえず体調良くなってからね?」
 平静を保って言う。この辺本当にこーちゃんは子どもっぽい。それが嬉しいというか悲しいというか。
 何というか、複雑なのはなんでだろう。
「うん! じゃあ期待して待っ……」
 と、気合いを入れすぎたのか、そのままこーちゃんは咳き込んでしまった。あわてて私も席を立つ。
「大丈夫?」
「だい、じょ……ぶ。……うん、もう平気。ちょっと疲れたのかも」
 よかった。まだごほごほしてるけど、なんとか落ち着いたみたい。
「ごめん、ちょっと頑張らせすぎたかな」
 本人があまり自分を病人だとかつらいとか言わないのもあって、たまに私はこーちゃんが病人だというのを忘れてしまう。無理をさせたらいけないって知ってるのに。それに、周りが気をつけてあげないといけないのに。
「って、そんな顔しないでよ。勉強見てくれて感謝してるんだから」
「うん……ごめんね」
 はぁ、反省しないとなぁ。
「さて! じゃあ今日の勉強はこの辺で!」
 気分を変えるように明るく言うと、こーちゃんは勉強道具を片づけ始めた。その横顔を見て、ふっと気づく。
 ……やっぱりちょっと痩せちゃったなぁ。
 こういうところを見てしまうとやっぱり病気を意識してしまう。さっきまで忘れてた自分がよけい馬鹿に思えて、私は気づかれないようにため息をついた。


 ///


 バスも電車も時間が早すぎて動いていない。だから、自転車で。
 始発を待っていると、夜明けには間に合わない。


 ///


 それからしばらくしてもこーちゃんは退院することができず、
「……ぐっすり寝てる、か」
 それどころか、だんだん体調を崩しているようだった。今日はもう終わったみたいだけど、点滴や薬の量も目に見えて増えている。
 寝入っているこーちゃんを見ると、調子が悪くなったのは私が勉強とか、色々無理をさせてしまったせいで、私が原因なんだと思ってしまう。本人は関係ないって言ってたし、たぶん本当にそうなんだろう。けど、罪悪感は消えない。
 私はこーちゃんの体がどうなっていて、どういう病気なのかを知らない。本人が言いたがらないから私も聞けないし、いつも元気になって退院してくるからあまり気にしてなかった。それでいいはずがない。
 それに、思ってしまう。
 前もその前も元気に戻ってきたからって、次もそうとは限らないんじゃないか、って。
 そもそもそんなに何度も入院しないといけないというのは相当のことなんじゃないか、もしかしたらいつか病院から出てこれなくなってここで一生を過ごすことになるんじゃないか。
「っと、いけないいけない」
 ぱんぱん、と軽く自分のほおをはたいて調子を戻す。急にネガティブなことを考え出すのは悪い癖。本人はこうして頑張ってるのに私がこんなことを考えるなんて縁起でもない。
「ん……あれ、来てたの?」
 ベッドから声が聞こえてきた。目をやると、布団がもぞもぞ動いている。
「あ、起こしちゃった?」
「なんか気配がしたから……ふあ」
 そうして起きあがろうとするこーちゃんを手で止める。 
「あ、寝てていいよ。そのままで」
「まったく、みんな僕を病人扱いしすぎなんだよ」
 言っても聞かないか。私はこーちゃんの体を支えて起きあがるのを手伝った。そのままベッドのすぐそばに座る。
「ごめん、寝てた。なんっか体がだるくって」
「謝らなくていいの。その体を治すためにここにいるんでしょ、しっかり寝てなさい」
「はーい」
 いつも通りふてくされたように返事をするこーちゃんを見て、ちょっと元気が出た。
 やっぱり何も変わらない。この子は大丈夫だ。
「あ、そうだ。何か欲しいものとかない? お小遣いで届く範囲なら持ってくるわよ」
「え、またなんで急に」
「お見舞いにいろいろ持ってくるのって普通じゃない? 別に何回やってもいいのよ、こういうのは」
「なんか楽しそうだね……」
「そう? ふふ」
 こうしてこーちゃんと話をしているだけでさっきの暗い考えはどこかに行ってしまったみたいだ。我ながら単純だとは思うけど、これはいいことだろう、うん。
「んー、なんでもいいの?」
「うん、お菓子とか、ちょっと遠いお店でも探しに行くわよ」
 あ、考えてる考えてる。この前はシュークリームだったから、今度はケーキだろうか。ケーキも美味しいからなぁ……
「ん、それじゃ、うん」
 ようやく決心したみたいだ。にっこり笑ってこっちを見てくる。
「じゃあちょっと耳貸してくれない?」
「え? どういうこと?」
「いいから早くー」
「もう、仕方ないわね……」
 そう言いながらこーちゃんに近づく。何を買わせる気なんだろうか。相変わらずこーちゃんは笑ったままだ。まあ、この子に限って変なお願いはないだろ……
「えいっ!」
「きゃっ!?」
 ぼん、と胸に何かがぶつかる感触。ってこれはちょっともしかしてこーちゃんが抱きついて来たのであって。
「ちょ、ちょっと! 離れなさい! 離れなさいってば!」
 じたばたともがくものの、こーちゃんは私の胸にしっかり顔を押しつけたまま離れようとしない。
「んー、マキちゃんの胸って気持ちいいね。ちょっとした発見かも」
「なに言ってるのよバカ! 早く離れなさいってば!」
「いや、お見舞いはいいからさ、もう少しこうさせてて?」
「もう! そんなの許せるわけないでしょう!」
 まさかこーちゃんがこんなことをしてくるとは思わなかった。いや確かに男の子なんだしそういうことを考えてても……
「って、こーちゃん?」
 どこか様子がおかしい。
「ん、ごめん。ちょっと、今、顔上げられない、から」
 おかしいと思ったのは、ちょうど胸に抱いているこーちゃんの頭が震えているからだった。表情は見えないからわからないけど、たぶん。
「泣いてるの……?」
 返事はないけれど、かすかにしゃくり上げる声が聞こえる。最初はびっくりしたけど、そうと分かれば恥ずかしいとは思わない。だから私はこーちゃんの頭を抱くようにして、落ち着くのを待った。
「……どう? ちょっとは落ち着いた?」
「ん、ごめん。だいじょぶ」
 そう言って離れようとするこーちゃんを、腕に力を込めて引き寄せる。
「え?」
「いいのよ、もう少しそうしてなさい」
「ん、ごめん」
「もう、さっきから謝ってばっかりじゃない。泣きたいなら泣きたいって言えばいいのよ」
 私はそう言って笑うと、もう一度ぎゅっとこーちゃんを抱き寄せた。こーちゃんの頭がびくんとなる。
「あー、なんか恥ずかしくなってきた」
「自分から抱きついてきたのに?」
 私は笑って返事をした。そう言うこーちゃんも離れようとはしない。
「……いやね、ちょっとほら、嫌な夢見ちゃって。この年になって恥ずかしいんだけど」
「ううん、そんなことないわよ」
「ありがと。……でさ、夢で僕、死んじゃってたんだよ。よくわかんないけど」
「……そう」
「ここんとこどうも調子悪いしね。ちょっと不安になったからごまかそうと思ったんだけど、失敗」
 それだけ、終わり。と言って離れようとするこーちゃん。けど私はまだ離すつもりはない。
「ほら、終わりじゃないでしょ、まだ。全部言っちゃいなさい。心配なことはみんな私が聞いてあげるから、ね?」
 ぽんぽん、と頭を撫でてやる。きっとこーちゃんもずっと不安だったんだろう。私が思ってたようなことは、きっと何度も自分で考えていたに違いない。ちくりと胸が痛む。
 それに気づいてあげられなかったから、せめて。
 今はぜんぶ聞いてあげよう。
 そう思って、私は腕に力を込めた。
「……死んじゃったらさ、みんな僕のこと、忘れちゃうでしょ」
「え?」
「僕の体はこんなだから、いつか死んじゃうかもってずっと思ってた。最近はそればっかり考えてる。そしたらみんな僕のことを忘れて、最初からいなかったみたいになるんだよ? それが怖い。怖くて、怖くって、嫌。きっとマキちゃんだって、いつか僕のことなんか忘れちゃうよ。そうしたら僕はどこにもいなくなっちゃう。病気なんかよりも、それの方がずっと嫌だ」
「そっか……」
 私はそう言うと、ぐいっとこーちゃんの頭を胸から離して、正面からしっかりこーちゃんを見つめた。もう泣いてはいないけど、目は赤い。
 そんなこーちゃんの不安を打ち消すように、にっこりと笑ってやる。
「大丈夫、こーちゃんは死んじゃったりなんかしないわよ。私が大丈夫って言って駄目だったこと、今までなかったでしょ?」
「そうだっけ……」
「ええい、うるさい。とにかくそうなの! それにね」
 こーちゃんの手を取って、両手でしっかり包み込む。心配ないよ、そう言う代わりに。
「私はなにがあっても、こーちゃんのこと、忘れたりしないわよ。それだけは保証してあげる。女の子は好きな人のことを忘れたりしないんだから」
「……え?」
 とたんにこーちゃんがあわてだす。顔も赤いし、目が泳いでるし。
 ……あ、元に戻った。でもなんだったんだろう、今のは。
「どうしたの?」
 私なにか変なこと言ったっけ。
 ……………
 さらっと告白してしまったような気がする。
「え、えと、あ、そのね?」
 何か言おうと口を開いたそのとき。こーちゃんの顔が私に近づいてきて。
 唇に柔らかい感触。
 こーちゃんはすぐに離れた。
「え? え??」
「ごめん、嬉しくって。つい」
「嬉しくって? つい?」
 ええと、うん、頭の中がよくわからないけど。
「こーちゃん、私に、キス、した?」
「うん、だからごめん」
 そう言って、にっこり。
「僕もマキちゃんのこと、好きだよ」
 ぼわっ。
 頭の中で変な音が聞こえた気がする。ちょ、ちょっと、何を……!
「ちょ、ちょっと待って。落ち着くわ」
 そう言って深呼吸。冷静に考えて無理考えられるか。いや確かに言ったのは私だけどね?
「あれ、違った? 今マキちゃん僕のこと好きって言ったよね?」
「いや、違ってないけど。ちょっと恥ずかしいから言うのやめてそれ」
 うう、なんてことを口走ってしまったんだろうか私は。もうちょっとムードとかそんなのはないのか。
 二人とも無言のまま時間が過ぎる。こーちゃんはさっきまでが嘘のようににこにこしてるし。
 うー、こうなったら腹を決めるか。
 ずっと一緒にいたけれど、こうして言うのは初めての言葉。
「えと、だからこーちゃん、その」
「うん」
「……ずっと前から好きだったんだよ?」


「でも、そう言ってはみたけど」
 それから少したって、ようやく私たちは落ち着いて話ができるようになった。
 ……落ち着いてないのは私だけだったけど。あの子はなんでこんなに落ち着いてられるのか、まったく。
「だからって、今までと何も変わらないよねぇ?」
 そうなのだ。いままでずっと一緒にいたんだし、告白してそれが受け入れられたところで私たちの関係は何も変わらない。けど私は、これまでと変わらず、いやもっとこーちゃんを支えてあげようと思った。
「じゃあ、これからも、今まで以上にマキちゃんと一緒にいるってことで。とりあえず海ね。他にもいろいろ遊びにいこうよ」
「はいはい、でも頑張って体治すのよ? まずはそれから」
「うん、頑張るよ!」
 そうして、夕方になった。さすがにこれ以上はいられないかな。
「じゃ、私はそろそろ帰るけど……」
 きょろきょろ辺りを見回して誰もいないことを確認する。やられっぱなしは何となく癪だ。なんてったって私はお姉さんなんだし。さっきのがこーちゃんからの初めてなら、これは私からのだ。
 そうして私は帰り際、こーちゃんに近寄って、その首に腕を回す。
 今度はこっちから、こーちゃんの唇をふさいでやった。


 ///


 海に着いた。


 ///


 それから、確かにこーちゃんは頑張った。今夜が峠ですなんて、何回言われたかわからない。
 
 でも、最後には。
 夏が終わる頃には、こーちゃんはいなくなってしまった。


 泣いた。
 ずっと泣いてきた。
 今でも泣きそうで。
 時間が解決するなんて嘘だ。
 このままじゃいけない。いろいろな人にそう言われた。
 けど、こーちゃんは言ってた。自分のことが忘れられるのが嫌だって。
 だから、この悲しいのがなくなっちゃったら。
 私はこーちゃんのことを忘れたことになるんじゃないだろうか。
 誰がこーちゃんのことを覚えてあげていられるんだろうか。誰が悲しんであげるんだろうか。


 また夏が来た。明日はこーちゃんの命日らしい。
 行ってあげなきゃ。
 でも行きたくない。
 思い出したくない。
 毎日想ってるのに。
 悲しんであげたいのに。
 悲しいのはもう嫌だ。
 そういえば、こーちゃんは海に行きたがっていた。
 そうだ。海に行ってあげよう。
 こーちゃんが見たがっていた、夜明けを見に行こう。
 私が、代わりに。


 海に着いた。
 夏とはいえ、辺りは薄暗い。当然だ、朝になる前に来たんだから。
 自転車を止めて砂浜に向かう。あまり海に近づきすぎると濡れるから、適当なところで腰を下ろした。
「うわぁ……けっこう汚いなぁ」
 まだ人は来ていない。けどシーズンだからか、砂浜にはゴミが散らかっていた。海にはぷかぷかと白いものが浮かんでいる。せっかくこーちゃんが来たいと言ってた海なのに、こんなにされて腹が立つ。
 一緒に来たかった。
 海だけじゃなくて、他のところにもいっぱい遊びに行きたかった。
 ただのご近所じゃなくて、恋人同士じゃないとできないこともしたかった。
 けど、こーちゃんはもういない。
 優しくて、私にとっては一番格好良くて、でも世話が焼けて、大好きだったひとはもういない。
 もういない、けど。
 まだ、大好き。
「なんで……なんで死んじゃったのよ。忘れるはずないのに。忘れるなんてできないのに。辛いのは私の方だよ……!」
 返事はない。
 けど、その代わりに。
 その代わりみたいな、冗談みたいなタイミングで――

 ――空が、海が、きらきらと。
   空は赤く、海は青く。
   紅く蒼く、本当に綺麗に――

 そうして、空は金色に光って、見慣れた朝に戻っていく。
 私はそれを、泣きながら見ていた。相変わらず悲しいけど、悲しいだけじゃない。
 こーちゃんが、あの人が言っていたことが、あの子の見たものが、想いがわかった気がして。
 そうして、私は立ち上がった。ごしごしと目をこする。だからと言って、気持ちの整理なんてそう簡単にはつかない。
 けど、こーちゃんのところに行こう。ちゃんとお化粧して、綺麗な顔で。
 今日のことを話そう。こーちゃんが昔見たものは、やっぱり綺麗だったよと言おう。私は昔わからなかったけど、こーちゃんのおかげでそれがわかったよ、って。
 それで、私はもう一緒にいてあげられないし、一緒にいられないけど。
 代わりに、今度は私が綺麗なものをいっぱい見つけて、こーちゃんに教えてあげるって伝えよう。
 もう一度空を見る。真っ青な夏の空。
「ありがとう、こーちゃん。ちょっとだけ元気、出たよ」
 多少無理矢理だとは思うけど、にっこり笑う。お礼の代わりだ。
 そう言って、私は浜辺をあとにした。


 ///


 自動車に乗って。
 家族みんなをたたき起こして、私は海へと向かった。
 子どももダンナさまもみんな眠いからって反対したけど、天気予報は晴れ100%、この機会を逃すまいと、私が無理矢理みんなを連れ出したのだ。事故られると怖いので、私が車を運転する。
「ねー、おかーさん。これからどこにいくのー?」
 なんだかんだ言っても、子どもは起きてしまうともうはしゃいでいる。ダンナは助手席で爆睡してるけど。
「ふふ、いいもの見せてあげるから、もうちょっと待っててね」
 あれから、私は素敵な人に出会った。もちろん、こーちゃんのことは忘れたことはない。けれど、この人も今の私にとって、いなくてはならない人だ。
 そのままトントン拍子に……は行かなかったけど、とにかく結婚して、気がつけば三人も子どもがいる。
 今の私の大切な人に。
 今も変わらず私が大切に思っている人が教えてくれた、とても綺麗なものを見せたいと、そう思った。
 早くしないと朝になっちゃうから、心持ちスピード多めに。
 こーちゃんが残してくれたいろんなことを、どんどん伝えていこう。こーちゃんに僕のことを忘れたのって、文句を言われないように。こーちゃんの居場所ができるように。
 だから私は海に向かう。
 大好きな人が教えてくれた、あの場所へ。

 


 あとがき

 変な名前の小説コンペ参加作品。お題は「初めてのちゅう」だったんですが、そんな要素は一瞬しかありません(ぁ
むしろテーマとしては前に相方に「人の死を書かないと人生の半分は書けないぜ?」とか言われてそれじゃやってやろうと。
……このテのは自分で感想書きづらいです。まあ、見たままと言うことに。

 もう一つのテーマというかモチーフは小沢健二の「おやすみなさい、子猫ちゃん!」です。こっちもかけらもないですがっ。
最初はかなりそっちに寄ってたんですが、最終的には雰囲気だけ。自分が何か曲から取るときはまんまになってしまうことが多いんですが、今回そこは成功したなぁと自分の中で万歳三唱。

 はっぴー……なのかはわかりませんが、最後は優しい話が書ければと思います。いつも。

戻る