冬の空気が充満していた。
 昼間ならまだしも、夕方――もうあたりも暗くなっている今頃では、遊んでいる子どももいない。
 そんな中、その公園には二人分の足音が響いていた。
 ひとつだけ置いてあるベンチの前で立ち止まると、辺りを見回す。
 ベンチを使いそうな人が誰もいないことを確認すると、二人はまず荷物をベンチの端に座らせ、その横に隣り合って腰掛けた。
「今日、待たせちゃってごめんねー」
「いや、いつも俺の方が遅いんだからたまにはいいよ。気にすんな」
 そう言って、潤平は手に持っている缶コーヒーを一口あおった。明日香も同じ銘柄の缶コーヒーを手に持っている。
 二人はいつも、一緒に学校から帰っていた。
 普段は潤平の部活の方が遅く終わるので明日香が待つのだが、今日は逆に潤平が早く終わり、少し待つことになった。そのことが話題に出ている。
 時刻は六時半ごろ。二人とも部活を終えて、学校近くの本屋に行った後、帰り道の途中にあるこの公園に立ち寄っていた。
 このところ毎日、それぞれの家に帰る前にここに立ち寄って少し話していくのが習慣になっていた。
 制服の上にダッフルコート、それぞれ違う柄のマフラーに手袋と、二人とも防寒着は着ているものの、空気は冬特有の澄んだ冷たさを含んでおり、それは時間を追うごとに増していた。
 その寒さからか、時々通る人影もどこか急いでいる。
 しかし二人とも、そんなことは気にしていない。話すこと以外に気を遣う暇などないとばかりに、楽しそうに話し込んでいた。
「はあ……冬の缶コーヒーってなんでこんなに美味しいんだろ……」
 ずずずっと音を立てて、明日香が缶コーヒーを口に運ぶ。
「俺がおごってやったからだろ。ありがたく飲めよ」
 潤平も同じ動作をするが、音は出ていない。
 横の明日香を見やると、なにやら熱心に缶を見つめ、視線の先に爪を立てていた。指先が忙しく動いている。
 すぐに明日香も見られていることに気付いた。しかし視線を外さず、そのままの姿勢で声を出す。
「あ、あとで潤平のぶんもシールちょうだいね。あと五枚で応募できるんだー」
 そしてまた、その作業に没頭する。なかなかうまくはがれないようで、長く整った爪が何度も缶の表面を撫でていた。
「お前、あんなもの欲しいのか?」
「うん。すっごく。最近はやってるんだよ?」
「まあ、別にいいけどな……」
 そうして自分の缶を顔の前まで掲げ、付いているシールを見る。
 その白い小さなシールには一点という文字とマスコットキャラクター、そして電話番号が書かれていた。
 それ自体はよくある企画で、シールを集めて応募すればマスコットキャラクターのグッズがもらえるというものだった。
 ただ、このメーカーのものは抽選ではなく、集めさえすれば応募者全員が景品をもらえる。
 それが功を奏したのか、このキャンペーンは品を変えて長く続いていた。知名度も高い。
「なんでこんなもんが流行るんだかな……」
 しかし、無料で全員にもらえるとしても、潤平にはそれに応募しようという気はなかった。
「そっちこそなんでよ? 可愛いじゃない、この子」
「いや、可愛いとかそういう次元のキャラじゃないだろ、これは」
 言いながら改めて缶を見る。応募シールにだけではなく、コーヒーの缶自体にもそのキャラクターは大きく描き込まれていた。
 中途半端に擬人化された、二本足で立っているトラじまの黄色い猫。手には製品自体を表しているのだろう、コーヒーの缶を持っている。
 それだけならいいのかもしれないが、その表情はシニカルなものをたたえており、どう間違えても可愛いの範疇には入らない。黒基調の缶のデザインも、より不気味さを増している。
 少なくとも、潤平は可愛いとは思っていなかった。
 しかし、その人を見下しているような表情がよかったのか、女子中学生や高校生を中心に人気があるのも事実だった。
「っていうか、コーヒーにこんなの付けられてもな。中身は硬派なブラック無糖なのに、キャラだけ完全に浮いてるぜ?」
 そうして、潤平もシールに手をかけた。悪戦苦闘している明日香とは対照的に、すぐにシールをはがしてしまう。
「ほら、やるよ」
 そのまま指先に付けなおして横に差し出し、明日香の持っている缶にまた付けなおす。
 そうしてもまだ、明日香は自分のシールをはがせないでいた。焦り、いらだち、そんなものが表情に浮かんでいく。
 少し見ていても、一向にはがせる気配がない。ただかりかりという音だけが小さく響いていた。
「貸してみろ、ほら」
 見ていられなかったのか、笑ってそう言うと、潤平はひょいと明日香の手の中から缶を奪い取った。横から非難の声が上がるが、無視してすぐにはがしてしまう。
 シールの端の方はもうボロボロになっていた。それを今度は半分ほど浮かせて張り直す。
「あーっ、ひどいっ。はがすのが面白いのにっ」
「お前の場合、はがす前にシールが破けるか中身が冷めるかのどっちかだろ、ほら」
 そうして缶を渡す。明日香はそれをひったくるようにして掴むと、ぐいっと一気に中身を飲み干した。それを怒りのサインと見た潤平がフォローするように言う。
「そういや、これ集めたら次は何がもらえるんだ? キーホルダーとぬいぐるみまでは覚えてるんだけど」
 その両方を明日香が持っていることも潤平は覚えていた。
「ええとね、Tシャツ。コマーシャルで見たことない? まんなかにほら、大きくプリントされてるヤツで……」
 さっきの怒りはどこへやら、機嫌をよくしてしゃべり出す。潤平も適当に相づちを打った。
 そのまま、芸能人の話から学校で流行っているどうしようもないうわさ話まで、とりとめのない話をする。
 そこから、誰もいない公園に小さな笑い声が漏れていた。


「で、なんだ。この街には殺人鬼がいるわけか」
「そうよ、二人組の。片方は黒ずくめの細い男で、もう片方は全身に包帯巻いたちっちゃい女の子なの。見られたら簡単に殺されちゃうんだって」
「……それ、変質者って言わないか?」
 あきれた声で返事をする潤平とは逆に、明日香は楽しそうに話している。
「だからさー、そんな奴いるはずないって。包帯巻いた少女を連れてるヤサ男なんてただのロリコンだろ?」
 例え噂の中ででもそんな二人組がいるとは思えない。仮にいるのなら殺されてもいいから見てみたい、それが潤平の感想だった。
「えー、違うよ。噂になってるんだから絶対にいるんだよ」
 それでも明日香は食い下がってくる。
 手の中のコーヒーを一口飲み、はあとため息を吐いて潤平は言った。口調は嫌そうだが、表情は明るい。
「この前話してたのは人面犬のことで、次は人か。本当に好きだな、こんな話。二週間に一度は違う話聞いてるぜ?」
「なによ、潤平もロマンがないわね。せっかく女の子の噂を話してあげてるのに」
「いや、ロマンもなにも。俺はバスケに夢中だから噂にかまってる暇はないの」
 そう言って話を自分の守備範囲へ持っていこうとする。
「あ、そういえば潤平、レギュラー取れそうなの?」
 それに気付いているのかいないのか、明日香も話に乗ってきた。
「ああ、たぶんな」
「なにさらっと流してるのよ。すごいじゃない、それ」
「まあ、死ぬ気で練習してるからな。それにバスケへの愛で俺に勝てるヤツはいない」
 どこまで本気なのか、大真面目な顔で言う。
 その顔を見て、明日香が吹き出した。潤平もにやりと笑う。
「潤平、毎日ずっと練習してるもんねー。そう言うところも好きよ、私」
 そう言ってさらに潤平の側へと寄っていく。
「ってお前なに言ってんだいきなりっ」
 やや慌てた口調で潤平が言った。飛び上がりはしないものの、それに近い。
「なに赤くなってるのよ。本当のことを言っただけでしょ……って、そうだ」
 そこで思いついたように顔を潤平に向け、にこりと笑う。
「ね、レギュラーおめでとうってことで、キスしよっか?」
「……まだ決まってないぞ。ってかなに言い出すんだよ」
 目をそらして言う。その顔は耳の先まで赤くなっていた。それは寒さのせいだけではない。
「なに恥ずかしがってるのよ潤平、初めてじゃないでしょ? ほらほら」
 そう言って顔を潤平に合わせるように上に向け、目を閉じる。
 それを見ると観念したのか、潤平も明日香に近づいていった。
 明日香の肩に手をかけ、自分の元に引き寄せる。
 そのまま、二人はキスをした。ただ唇を寄せ合うだけの、簡単なキス。
 やがてどちらからでもなく離れると、二人は照れくさそうに笑いあった。白い息が揺れる。
「ありがとー。うれしかった」
「いや、礼言われるようなもんでもないしな」
 そして、潤平はおもむろに立ち上がった。手に持っていた冷め切ったコーヒーを一気に飲み干し、。そのまま少し歩いて前に向かう。
 左手に缶を持ち、簡単に狙いを付けると、ベンチの横に置いてあるゴミ箱に向かって放り投げた。ちょうど、ワンハンドシュートの形。
 缶はきれいに放物線を描くと、からんと音を立ててゴミ箱の中へと吸い込まれていった。
「うしっ! 絶好調っ!」
 潤平が左手を上げてガッツポーズを作り、明日香が拍手をする。
「ね、こっちも入れてみてよ」
 そう言って自分の横に置いてあった缶を取り、潤平に放り投げる。
「シールは? いいのか?」
「だいじょぶ」
 その右手の手袋の上には、白いシールが二枚張り付いていた。
 潤平はそれを確認してから、受け取った空き缶を構えた。一瞬集中し、言葉と同時に放り投げる。
「これも入れてやるっ」
 その言葉通り、缶はまたきれいな軌道でゴミ箱の中へと収まっていった。
「わー、すごいすごい。ナイッシュー」
 ぱちぱちと拍手をする。潤平もそれに答えて手を振った。
 そしてベンチに戻り、荷物に手をかける。
「さ、そろそろ帰るか。寒くなってきたしな」
「そうよねー。私たちなんでこんな所で話してるんだろ、馬鹿みたい」
 笑いながらそう言うと、明日香も自分の荷物を手に取り、立ち上がる。
「さてと、家帰ったらさっさと風呂入るかな……」
「なによそれ潤平、オヤジ臭いわよ?」
「オヤジでいいよ。さ、帰ろうぜ」
 そう言って明日香の手を取り、手袋越しに握りしめる。明日香も遅れないようについていく。
 そのまま、二人は街灯が照らしている道へと、歩いていった。 


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